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千葉和洋裁縫女学校(植草学園最初の学校)の卒業生、藤代 ときさん(102歳)と会って来ました

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 藤代 ときさん(102歳)は、植草学園の前身である千葉和洋裁縫女学校の卒業生です。
 千葉和洋裁縫女学校は、明治37年に植草 竹子によって千葉市院内町に設立された植草学園最初の学校でした。ときさん(大正2年生まれ)は、この裁縫女学校の和裁科に17歳の時に入学し2年間和裁の技術を学びました。
 ときさんは、現在、若葉区にある介護施設「だんらんの家 加曽利」で生活をしています。「だんらんの家 賀曽利」は民家を改修した家庭的であたたかな雰囲気のある介護施設です。そして、その施設管理者である小菅 秀美(植草学園短期大学 地域介護福祉専攻卒業)さんのおかげで、ときさんにお目にかかることができました。

 今から70年前の昭和20年7月、米軍による千葉大空襲は、千葉和洋裁縫女学校の校舎はもとより、当時の資料のほとんどを焼き尽くしました。現在、学園関係者のなかで戦前の植草学園の様子を知る人はほとんどいません。ときさんが在籍した昭和初期の学園はどのような状況であったのか、どのような教育が行われていたのか、たいへん興味深いものがあります。
 当時、ときさんに和裁を教えていたのが、植草 竹子でした。ときさんによれば、竹子はたいへんやさしい人で、生徒を厳しく指導することはなかったそうです。教室に入る前に、「エヘン」と咳払いをする癖があり、ときさんは今でもそのことをよく覚えていました。竹子の咳払いは、授業に入る前の心構えを催促する合図であったのでしょう。授業は裁縫の手順が黒板に示されて、生徒はそれを見ながら黙々と作業にあたっていたようで、現在の授業風景とはかなり異なります。裁縫の授業の他には、華道や瓶細工(瓶の中に細かい細工を施す)などの手芸の時間もあったそうです。
 別の部屋では洋裁が教えられていたと、ときさんが振り返りました。昭和3年に、県内最初の洋裁科が千葉和洋裁縫女学校に設置されています。洋裁科を担当していたのが、やがて二代目の校長となり植草文化服装専門学院を設立する植草 こうでした。

 貴重な話を聞かせてくれた ときさんは、約85年前の植草学園の卒業生です。そのときさんを今お世話しているのは、12年前に植草学園短期大学を卒業した小菅さんです。長い時を経ても同窓のつながりのあるお二人と話ができ、とても充実した時間となりました。
お二人に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

平成27年8月11日         
学校法人植草学園 理事長 植草 和典

 

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だんらんの家 加曽利にて
写真(左から):小菅 秀美さん、藤代 ときさん、植草 一世 教授、植草理事長

 

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